フットサラーは哲学する・・・

今日は調布でデューク主催のGREEなフットサルがあったはずだったけど休日出勤で部屋の中に閉じ込められるなんて・・・俺をこの檻の中なら出してくれ・・・
ショーペンハウエルが、人間とは生きている限り自らの欲望が決してかなえられないという現実世界で生きてるので(仮に宝くじ3億円あたっても、好きな人と結婚しても更に違う欲望が湧き出てくるため)、幸せに生きるためには趣味に没頭する方法がある*1と言ってたけど確かに球蹴ってる間は幸せだ。本読んでる時や映画見てる時も幸せだ。現実に適応するのが難しいときは仮想現実とか空想の世界の住人になれば欲望の実現度は確実にあがる。
ただエピキュリストとして生きるにはそれなりのお金が必要なわけで、現実世界と空想の世界を移動するための運動が"労働"なのかもしれない。と、簡単に"労働"を生活の手段として割り切ろうとするとまさしくマルクスの言う「類的本質からの疎外」の状態に陥ってしまうわけで、フットサルによって労働疎外から脱出して自己実現してるはずが"労働"をネガティブに捉えることによって結局自己喪失する結果になってしまう・・・と日付が変わるころ電車の中で労働とフットサルの関係について考えてしまったのでした・・・まぁこんなこと考えている時点で社会人として青いし若すぎるんだけどね。(笑)

*1:その他の方法についてはあえて触れません・・・